2時間でつくった噺
私がまだ二つ目※の頃、三遊亭円丈師匠に誘われて実験落語に参加しました。渋谷にあった小劇場「渋谷ジァン・ジァン」で月に1回、書き下ろしを披露するんです。古典落語と違って噺の内容は何でもありなんですが、これが難しい。高座は昼からなのに、前日の夜10時になってもできないんですね。こりゃダメだ、気分転換に飲んじゃおうと家の近くの西小山商店街にあったおでんの屋台に行ったんですが、そこで鍋の中を見ているうちに、これがいいや!と。おでん種を主役にした噺にしようと決めて、家に帰って2時間でつくったのが『ぐつぐつ』なんです。
ぐっつ、ぐっつ は苦肉の策
自分では手ごたえがあったんですが、最初は全然受けませんでした。お客さんの反応も、なんでおでん種がしゃべるんだ、ワケわからんという感じで。しばらくは試行錯誤が続いて、登場するおでん種もいろいろ変えましたね。男爵いもは三遊亭吉窓さんからいただいたアイデアで、僕がそこにメークインの恋人を加えたり。場面転換のたびに入る「ぐっつ、ぐっつ」という擬音と身体を揺する所作も、実は苦肉の策なんですよ。次に出てくるおでん種を思い出したり、噺をどう組み立てようか考えるために「ぐっつ、ぐっつ」と言って時間を稼いでたんですね。それがいつの間にか売りになっちゃった(笑)。
星座とおでんの共通点
『ぐつぐつ』はモノを擬人化した噺ですが、要は人間の世界をおでんの世界に置き換えてるんです。こういう手法は他にもあって、僕が好んで演じるのは星座の噺。曇りの日は人の目に星座は見えないけど、星座の世界はちゃんと存在していて、雲の上では星座同士が会話をしていると。いろんな星座があるのと同じで、おでん種もそれぞれ個性があり、そこがおもしろい。擬人化しやすいんです。だから『ぐつぐつ』にはいろんなバージョンがあります。はんぺんが風邪ひいて肩までつゆに浸かりたいと言ったり、片面だけ色がついちゃうの嫌だからちゃんとひっくり返してとゴネたりね。
紀文の焼印は当初から
はんぺんに「紀文」の焼印が付いている※という設定は、噺をつくった当初からです。「お洒落だねー。身体の隅についてるワンポイント、それなんて書いてあんのー」と聞かれて「紀文よー」と答えるという。当時は胸のところにワンポイントがついたポロシャツが流行ってましたからね。最近ではワンポイントはさすがに古いので、タトゥーに変えていますけど。これは最初から受けましたね。おでんといえば紀文、というイメージがお客さんの中にあるからでしょう。
人情味や温かみの象徴
このように時代に合わせていろいろと変えていますが、あえて変えなくてもいいと思う台詞もあります。昔は二級酒という言葉が出てきましたが、こういう日本酒の区分がなくなりましたので、いまは入れていません。でも、昭和の時代の雰囲気がこの噺のポイントだから、また復活させてもいいかなと。そういう雰囲気は落語で不可欠な要素である人情や温かみに通じます。おでんという料理はその象徴なんですね。『ぐつぐつ』は、そういう古きよき時代の雰囲気とともに楽しんでいただきたい噺です。
巾着は自慢のレシピ
おでんは大好きで、秋冬期には月に2回くらいは食べています。自分でもつくりますよ。『ぐつぐつ』の中に巾着が出てくるでしょう。糸こん、野菜、椎茸、挽肉、銀杏が入っているという。あれ僕がつくったレシピなんですよ。つくるのが楽しいし、家族も喜んでくれる。おまけに落語のネタにもなる(笑)。おでんって、本当にいい料理ですよね。
落語『ぐつぐつ』の広がり。舞台化やセルフパロディー化
『ぐつぐつ』は長く演じられているだけでなく、さまざまな形で広まっています。2010年には、元AKB48メンバーの小原春香さんをはじめとするアイドル40人によって舞台化されました。小ゑんさんによるセルフパロディーとも言える続編『悲しみのぐつぐつ』も好評を得ています。また、ANAの機内オーディオサービスには落語が聴ける「全日空寄席」があり、2021年にこのプログラムに『ぐつぐつ』が採用されました。
歌留多で学ぶおでんの魅力
2023 年12 月に開設したおでん専用サイト「オデンガク」に掲載中の「紀文おでん歌留多」では、小ゑんさんに監修を依頼しました。その文章は軽妙かつ蘊蓄に富み、歌留多をめくりながらおでんの新しい魅力を知ることができます。毎週更新される歌留多にどうぞご期待ください。